九十九里浜のテトラポット(遺稿)

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坂本正治氏を偲ぶ
可哀想なDavidの話
事故
Adobe社「INDESIGN」
片翼撃たれたトンビの死
九十九里浜のテトラポット
〈ヨウカイチバ〉へようこそ!
風間農園のカボチャ爆弾
チバラギの「荒地」から
顔のない仏像と日本のマスメデイア

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半世紀前に建てられ当時の優雅な建築様式をそのまま残している国民宿舎望洋荘は、宿泊施設は2階まで、3階は開かずの間で海岸から見ることができるだけだ、 望洋荘前の砂浜、野手浜には有名なTVタレントもおしのびでサーフィンに来る隠れスポットなのだそうだが、見渡したところ砂浜から20メートルほど先のサーフラインにはまるでオットセイかオタリアのように、黒いゴムスーツを着たサーファーの群れが首を並べているだけで、とてもイケメンとその妻君が訪れる隠れ名所とは思えない。 まだ小さな砂浜が残されているだけでもめっけものだが、半世紀前、私がまだ学生だった頃には、確かに九十九里浜は、千葉県太平洋岸にずっと存在していた。 それがなぜなくなってしまったのか。 地元漁師が語るその理由は、利根川に砂防ダムが作られすぎたためだという。つまり川から海へ流れだして海の波に洗われて戻ってくるはずの山砂が完全にせきとめられてしまったため、九十九里浜海岸は、テトラポットの海岸になったのだ。 「テトラポットを発明したエンジニアは糞儲けに儲かったでしょうね」 「んだ。この国ではこういった仕事をしないと食って行けん。九十九里の漁師など俺一代限りだな。あんたは金儲けうまそうでよかったなあ」 「どうも金にならないことばかりにかかずらって、それなりに苦労重ねてるんですがねえ」 軽度心身障害者である私は、このあたりのヒトにはジブンが金もうけ上手に見えるのか、と何人かのメトロポリス在住、金儲け上手の風貌を思い浮かべながらあわてた。 私、私はここに事故後不安定になった身体の安定を取り戻すために深い砂地をはだしで歩いてみようと、車を乗りつけただけの人間である。 時刻は午後5時、遠くの突堤を目指して歩き始める。砂地は凹凸が激しくふだん革靴が動作を規制している左右の踝がしきりに活動している。足の裏全面に砂の感触と圧力が加わりすこぶる気持ちがいい。 60年代の学生運動のスローガンのひとつに「裸足で砂を歩いて」という台詞があったことを思い出す。「電車道の敷石を剥がすとその下は砂浜だあ」と、その無名の落書きの書き手は言うのである。心の底に沈んでいたその言葉に励まされ、生き残りの砂浜をよろよろと進む。 目標とした次の突堤までちょうど2分の1の地点まで来たときまたもときた突堤まで戻ることにした。 海を左手に見て歩いてきた足跡はもう半分ほど差してきた潮に洗われて消えてなくなっていた。 あれは1950年代だったか60年代あったか「なぎさのあしあと」というカンツオーネを聞いたことがあったような気がする。 それは若い男女が手に手を取ってなぎさの砂の上を歩いて行くがその足跡は片端から磯波に消されてゆくというような歌詞であったかと思う。 半世紀以上生きていると「偉大な足跡」を残した人物についての話をあれこれ聞かされる機会も多かったけれど民俗学者宮本常一氏の足跡についてのアネクトードもそのひとつ。氏の足の裏に赤インクをつけると、北は北海道樺太から南は沖縄の離島までその足跡で日本列島全域が真っ赤になるという。 ああそういう偉大な徹底したヒトの人生に比べて、目印の突堤の半分ほどのところで引き返してしまう私の人生は、なんと中途半端なのだろう。 ちょうど太陽が地球の反対側に沈むたそがれ時刻。ラグランジュの時空間が間もなく匝瑳市の上空に出現する時間帯である。 地平線が砂ぼこりでよく見えない。薄曇りの空とたそがれ時の明るさが一昔前読んだ渋いイギリスの探偵小説「砂州に消えた男」の一シーンのようだが、それも海から打ち上げられたオロナミンの空瓶、発泡スチロールの通い箱、履き捨てられたスニーカーなど視界に入れなければということだ。 この砂浜を農業用トラクターを改良した手造りの砂浜掃除機でクリーンアップすることはできないことではなかろう、とまた余計なことを考える。 しかし、見渡す限りここの砂浜にはそういうサンドクローラは一台も見当たらない。このあたりの砂浜は、小学生中学生にゴミ袋を与え、砂浜清掃コンテストを開催することによって、昔のような砂浜を明日呼び戻せると信じているんかな。 「おーい」 と遠くに居る、古い知人の誰かに声を掛けたい気分になる。 エヴァゲリ新東京を訪れる13番目の「使徒」は、こういう海の中からやって来るのだろうか。 それとも綾波レイの乗機は、まだ遠い砂浜をふらふらさまよっているのか。 インスタントラーメンの空容器のミニチュアといっしょに同じスケールの負傷した綾波レイが病院のベッド横たわっているジオラマが、秋葉原ラジオ会館の何階かに展示されていた。 商品パッケージとして売られてはいなかったけど、あれは良かったなあ。