顔のない仏像と日本のマスメデイア(遺稿)

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※1、※2 「世界」という言葉を「みんな」という言葉に置き換えると、日本人社会の成り立ちがわかるように思えます。今、多数(世界、みんな)とはどこにいて、どんな人たちなのでしょうか。
世界は一つの価値観でできていないし、みんなが同じ価値観を持っているわけではありません。
※3 坂本正治氏は、宗教が究極で宗教を否定してしまうナーガールジュナの思想(仏教の核心)に共鳴していると思われますが、「弾道ロケット」の部分は、正確な主旨が理解しづらいように感じます。
人が生きるために意味があって生まれてきた宗教が、最後には人類を破滅させてしまう諸刃の剣でもあるのは、人類の宿命なのかもしれません。
誰も見ていないところでも「神」に見られていると考える道徳と、誰も見ていないから…と何でもできてしまう無宗教人の無道徳。こんな二律背反を人類は超えられるのでしょうか。 (荻野)


坂本正治氏を偲ぶ
可哀想なDavidの話
事故
Adobe社「INDESIGN」
片翼撃たれたトンビの死
九十九里浜のテトラポット
〈ヨウカイチバ〉へようこそ!
風間農園のカボチャ爆弾
チバラギの「荒地」から
顔のない仏像と日本のマスメデイア

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日本のマスメディア人が好んで使う前振りに「世界の国々から非難された」というセリフがあります。ホントに世界のヒトに非難されたかどうかは別で日本人が『世界のヒトに非難してもらいたい」と考えているであろうことを先取りしてそう書くのです。例えば「原爆投下」など、ワタシがそう言わなくても皆がそういっているでしょう、というおさだまりのセリフですが(世界)というコトバはなかなか意味深長で、自分の意見の正しさを強調するために、そういう表現方法を取ることがほとんどの場合です。 タリバンという回教徒の集団がバーミヤンの巨大石像を破壊した折にもやはり日本のマスメディア人は「世界のヒトから非難された」と、結論めいて書きました。たしかに日本人社会の常識としては、巨大な石仏像をロケット砲で破壊するなど許しがたい行為でしょう。西欧アジアを問わず各国政府が非難声明を出すこともまた、当然のことです。 しかしバーミヤンの石仏について仏教徒以外の宗教指導者でその存在を知っている人物は、いったいどれほどいるでしょうか?まして一般民衆でその存在を認知しているヒトは希でしょう。つまりマスメディア人の反応は彼らのよく知っている印刷物やTV画面上のアイコンとしての仏像の破壊を怒ったのであり、教義としての仏教徒と回教徒の対立には触れずにこの話を報道するためのテクニックとして「世界の人々の非難」を持ち出したのです。 アフガニスタンという田舎の回教徒が仕出かしたことを擁護するつもりはありません。しかし巨大な石仏が刻まれたのは観光資源として、あるいはまた芸術として制作された訳ではありません。私見ですが、仏教誕生の地とされるブタガヤの寺院にもない巨大な石像が、次々各地で製作されたのは、昔の戦争技術では巨大な仏像は、簡単に破壊されないから、だと思います。つまりピラミッドや万里の長城、戦艦大和の巨大化と同じ原理によるものです。回教徒が偶像崇拝を認めない、そればかりか一切の絵画表現や彫刻表現を認めない、という教義を奉じていることは中央アジアばかりでなく、西アジアの文化にも東アジアの文化にも非常に大きな影響を与えていると思いますが、今日の液晶モニターやデジタル印刷物によるメデイア王国は、アイコン化された商標や偶像崇拝に近いアイドル崇拝によってその一半を支えられており、回教徒の教義はその隆盛に真っ向から対立しているのです。巨大な仏像が鋳造されたのは、日本列島の事例を考えあわせても「国家鎮護」という大きな要請を背後に背負っています。東南アジアにおける巨大な釈迦の涅槃像も決して信者ひとりひとりの熱心な寄進によるもの、などではなくて、いまはもう消滅してしまった小国家や部族社会の財政的、政治的支援なしには成り立たないことです。 龍樹菩薩、ナーガールジュナの説法が最も深い意味を持つのは、それらの現世的要請に対して「一切皆空」と、切って捨ててしまうことです。もちろんそれが現実の仏像破壊を意味するものではない。 さすが最近は日本の仏教は大乗仏教、東南アジアの仏教は小乗仏教、といういささか思い上がった説明は少なくなったようですが、日本の「教団仏教」(と専門家は呼んでいますが)の抱えている問題は、鎌倉時代、蒙古のクピライハーンの命令で高麗の兵士が大挙来襲した際、鎌倉幕府支配下にあった全国の寺院が加持祈祷により、国家鎮護に貢献したと見なされる大事件があり、それに乗じて鎌倉時代の新宗教、すなわち日蓮宗、浄土真宗、当時の踊る宗教、鎌倉時代のボブマーリー一遍上人に組織された時宗、天台宗、曹洞宗などの禅宗が徳川家康のたくみな操縦術によって事実上、北海道、沖縄を除く全国ネットの「国家宗教」となった経緯から僧院が単なる文化財護持組織、あるいは観光組織として、学校教育にまで組み込まれていることです。 国家宗教という組織的思想団体は、私のような非宗教人にとって、きわめて危なっかしい存在だと思います。たとえば回教を国教とする国家が核兵器を所有した場合には、たとえ弾道ロケットを持たなくても、きわめて警戒しなければならないでしょう。私には日本のマスメディアはほとんどその問題に関心をいだいていません。アメリカとロシアの防衛官僚が、沢山所蔵しすぎてメンテナンスに金ばかり食う核ミサイルを少し減らそうと相談しているのにすぎないことを「核廃絶への第一歩」などと評価するなど脳天気にすぎると思います。