Adobe社「INDESIGN」(遺稿)

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坂本正治氏を偲ぶ
可哀想なDavidの話
事故
Adobe社「INDESIGN」
片翼撃たれたトンビの死
九十九里浜のテトラポット
〈ヨウカイチバ〉へようこそ!
風間農園のカボチャ爆弾
チバラギの「荒地」から
顔のない仏像と日本のマスメデイア

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ADOBE社「IN DESIGN」C S 5.5という最新のDTPソフトを購入、決意も新たにパンフレットの制作に取り組んでいます。ようやくテキストの修正や画像へのテキストの回り込みについて会得したばかりなので現代のDTP技術については、まだほとんど白紙状態です。70歳を越えて「易しいユニックス入門」という本とCDを入手、著者の想定外の質問を連発して著者を辟易させたS氏同様,当方は合法的(笑)ADOBE社テクニカルサポート想定内の質問電話を活用して頭脳の皺の活性化に努めています。 私がDTPソフトに手を付けたのは遥か昔、モリサワが写植フォントをアップル社に公開したのしないのということが大話題になっていた頃ですから、まだどんぐりのような「クオーク・イクスプレス」の盗用防止装置がなかった頃の話なので、ADOBE社がクオークを見捨てて「IN DESIGN」開発に踏み切るずっと前のことです。 今の若い人たちはPHOTOSHOPバージョン2なんて全く知らないでしょうね。いつぞやの日曜日、裏秋葉原の露店で懐かしいそのパッケージを見つけて買っておくんだったなアなどと今更ノスタルジックに感傷してももう遅い。時代はどんどん、昭和の昔のノスタルジアさえ使い捨てという情けない未来社会に突入しています。 いまさらDTPに再着手しているのは、確かに印刷会社の巨大コンピュータでレイアウト、組版などすれば早くに仕上がる筈のことが何故かますます詰まらないデジカメ画像優先ページを生んでいるので、そうではない編集著作フォーマットを個人出版のカタチで実現してみたいのです。私が一時その渦中に引き込まれていた築地系某出版社では、レイアウト優先というマジックを使って、編集バイトと呼ばれる非契約社員を多勢使用していました。テキスト・ライターとしての彼らの仕事は、画像文明の隙間を埋める画像解説文の執筆であり、レイアウトさえ奇麗に出来ていれば、それを眺めてなにか感得出来た感じになる若い読者向けの誌面構成が特徴でした。 その功罪はともかく、それ以降雑誌新聞などの出版ジャーナリズムには特段の進歩がないように思われます。ただひとつ、インターネットの爆発的普及と、その結果生まれたビデオジャーナリズムや写真やマンガがセンテンスの長い文章によるコミュニケーションを、量、質ともに凌駕する新時代の出現です。 こうしたコミュニケーション・メデイアの変貌や変質について私は別にこれが初めての体験ではないのです。 第二次大戦の敗戦後、いわゆるOCUPIED JAPANで起きたメデイアの変質・変貌はスケールこそ異なりますが、今起きていることそっくりです。ただ電子メデイアの帝国主義的拡張について、それをはっきり意識している論客は、ほとんど居ないようですが、日本の知識人がこの電子戦争状況についてほとんど全く風馬牛なのは解せない話です。 年寄りの愚痴ではないつもりですが、マルチメデイア時代の洗礼を受けた若い世代の日本人は、長いセンテンスを受け付けず、ごく短いキャッチフレーズやキャッチコピー以上の文学的記述になるべく翻弄されないようにする防衛本能のみ強化されているように思われます。 私のコドモの頃、難しい漢語はルビ付きの大衆雑誌の時代小説で解読し覚えていました。INDESIGNは、ルビ振りも出来るようなので古めかしい呪語も怖れず使ってみたいのです。 どうも散漫な身辺雑記ではありますが、福島第一原発記者会見のヨイコのサラリーマン記者、突っ込み質問の組立て方を知らない「フリーランス」記者の日本語対話を聞いていると、ついついこれでは有色人種も視聴者として獲得したいと努力しているBBCのインタビュアーにも負けないような日本語世界の奥深さを、OCCUPIED JAPAN育ちの老人としてDTPしたいと決意してしまうのです。