可哀想なDavidの話(遺稿)

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坂本正治氏を偲ぶ
可哀想なDavidの話
事故
Adobe社「INDESIGN」
片翼撃たれたトンビの死
九十九里浜のテトラポット
〈ヨウカイチバ〉へようこそ!
風間農園のカボチャ爆弾
チバラギの「荒地」から
顔のない仏像と日本のマスメデイア

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あれはDeanくんが帰った二、三日あとだったかなあ。 それまでジイジのテントハウスの中に何か生き物が居るなあと思っていたけど、びっくりするようなことが起きた。パソコンのモニターの陰から、最初ちょろりと細長いしっぽの先がのぞいた。続いて顔を見せたのは小さな野ねずみだった。都会のどぶから入り込む大型のクマネズミや家ネズミと違って、実験用に使われているマウスよりは大きいけれど、掌に乗るくらいの大きさで至って臆病な赤ネズミという種類らしい、とすぐ判った。 赤ネズミの寿命は2年ぐらいで、一生直径30メートルぐらいのテリトリーの外へ出ない。身体も小さいし臆病なので逃げ込む通路や巣穴が出来ていて安心なところから外へ出ないらしい。 ジイジがこの二階建てアパートぐらいの小さな里山にドイトハウスを建てようとした時には地所一杯に群竹が生茂っていて、刈り払い機を使わなければ境界石までたどり着けないくらいだった。里山の頂上にも細い三年竹が密生しスカイラインも見えないし、里山の樹としては大きく育ちすぎた椎の樹からは、アメリカ南部の風媒花のような太い蔦が垂れ下がり、雷に撃たれて裂けて半分枯れた樹が立っていたりして、とても手入れしないわけにはいかなかった。 その群竹を刈り立てているとき三回ほど、赤ネズミが逃げ出すところを目撃した。かわいそうに安住していた棲処を追い出されて三家族ほどが離散することになったのかと気の毒には思ったが、竹薮を刈り取らない限りコンテナハウスも農業ハウスも建てられない。ニンゲンという大型哺乳類が棲むためには小型哺乳類を追い出さなくてはならないのか、とその時は思った。 赤ネズミの側から見ればニンゲンという大型哺乳類の家は猫や犬さえ連れ込まれていなければ、生存のためにはは、なはだ好都合な環境でもある。夏冬の温度差は群竹の根本の巣穴より遥かに少ないし、適当な餌もいろいろ蓄えられている、多くの野ネズミが好条件に惹かれて家ネズミ化したのも無理はない。 どうも野ネズミが入って来ているなと感じたのは、一時しのぎに買い整えておいたnissinのカップヌードルがいつの間にか底に穴が開けられ空っぽになっていたときだった。それとテントの中のあちこちに、黒い胡麻粒のような野ネズミの糞がある。ネズミの小便はひどく臭いものだが、幸いなことにその形跡はまかった。 それでカップヌードルや乾麺の類いはゼンブ冷蔵庫やプラスチック容器のなかにしまうことにして、無用な食事サービス提供をさけた。 赤ネズミはディズニーランドの主人たちのようにふっくらと丸い顔つきはしていない。 野生生物としてフクロウ、ハクビシン、野猫など捕食者の眼を逃れて生きているから、鋭い尖った顔立ちである。飼いならして掌から餌を食べさせているヒトもいるらしいが、私は名前を付けて呼ぶ以上のことはしたくなかった。生物学者の記述する赤ネズミの習性には、きまって「臆病で用心深い」と書いてあるが、私のテントハウスに入り込んだ小型哺乳類は、これまでニンゲンという種類の大型動物に全く接触していなかったためか、恐ろしく無遠慮で大胆不敵だった。 パソコンデスクの下に、両足揃えて置いている足の甲をのそのそと乗り越えて歩いていったこともある。もちろん立っている足の間を通り抜けることなど平気の平左エモン、夜は夜で紙くずやプラスチックカバーの山をがさごそと音を立てて動き回る。テントハウスの主人が眼を覚まして自分に危害を銜えるだろうなどという心配は全くないらしい。最初は、もうDeanがこのキャンプへやって来ることがないことは判っていたので、この野ネズミにDeanという名前をつけて可哀がってやろうかと思ったが、万一、テレパシーが働いて、夜中にネズミを叱ったとき、カリフォルニアのDeanがびっくりして眼をさますといけないから「David」にした。 実際、夜中に「おいDavidうるさいぞ。静かにしろ」とどなったことは二度や三度ではない。 八日市場開畑のキャンプ地は、ジブンの内臓の動く音がちゃんと聴こえるほど静かで、里山の上半分を切り落として谷地田を埋めて作った「土地改良区」なので、国道126号線や東総広域農道のトラックの音など台地のマスに遮られてほとんど聴こえない。ただ房総線のレールの継ぎ目の振動だけが夜中、枕に伝わるだけというのが他に得難い長所である。 Davidは、竹薮の中で暮らしている時にもガサゴソと音を立てるとアブナイという配慮はまったくしないのだろうか。 あまりにも大胆不敵なDavidの振る舞いを見て、心配の種がひとつ増えた。主人の黙認を幸いにDavidが床下でコドモを育て始めたら厄介なことになる、やはりDavidは少し離れた笹薮にでも放してしまわないとウチは赤ネズミのウチになりかねないという心配である。野生動物を捕らえてもその始末にはどこの農家でも困ってしまう。殺そうとすればどんな動物も最後の抵抗を試みるし、血みどろの結末を期待するホラー映画のファンのようなニンゲンがどこにでもいるわけはない。ウチの隣の農家は畑荒らしのタヌキを捕まえて、遠くへ檻ごと運んで放そうとしたところその近くの農家に見つかって「おい何するつもりだ」と長時間油を搾られたという話だし、都会地の住人にとってはドッグフードで餌付けの出来るかわいらしい野生動物の一群も.丹精こめた畑のトウモロコシが完熟した収穫直前に家族で現われ、一匹が見張りに立ち、残りが遠慮なく大御馳走を食べまくるという習性は腹立たしいばかりである。でも、かといって生け捕りしたタヌキを檻ごと農業用水に沈めてもだえ苦しみながら溺死する様子を冷静に見るなどと言うことは、普通の農家の神経には堪え難い。おとなりの農家スセキさんの場合には、水路の岸が切り立ったコンクリートで出来ていて1キロぐらいは這い上がれない用水に放して、タヌキは一応泳げるからずっと下流に泳いで行ってから陸に上がるだろう、するともとの場所まで戻って来ることはあるまい、という名案を思い付き実行したということだが、赤ネズミDavidの場合にはまず捕まえることから始めなければならない。 近所のスーパーでネズミ用の檻、強い鉄のバネで餌に触れたネズミを瞬殺するトラップではない箱形の檻の入り口が閉まって生け捕りできるタイプのネズミ罠を買って来て台所に仕掛けた。適当な餌が思い当たらなかったので、アメリカンコミックスのネズミが好むチーズの塊を引き金に取り付けた。Davidがそれに食いついて逮捕出来れば、どこか遠くの笹薮にでも運んで放せばいい。そういう算段だった。 仕掛けて2、3日後にはもうそのことを忘れていたのだが、一週間ほど経ったある日、なんとなく腐臭を感じたので眼を凝らして針金の罠を覗くと、そこには変わり果てたDavidの死骸があった、かたりとも、かさとも動いた気配はなかった。それで思い出したことがある。赤ネズミは大変臆病な動物で蛇に睨みつけられるとこわさのあまりかっと開いた蛇の口へ自分から飛び込んでしまうし、ほんとに軽い打撃を受けただけでショック死してしまうことがある、という話を小型哺乳類学者から聞いたことがある。一生の間、半径15mぐらいのテリトリーから外へ出られない、というのも、敵の多い野生動物としての小心さ故なんだ、ということは、Davidは針金の罠の入り口が、がちゃんと落ちた時、そのショックにたえられなかったのではなかろうか。 勝手な都合で針金の檻を仕掛け、そのまま忘れていたような無責任な主人によって、たまさか生息地を追われ、農業用パイプと防炎テント地で組立てられたハウスにもぐり込みたまさかの自由な生活をえていたのに針金の檻の中で死ぬことになろうとは、Davidは哀れな運命を生きた。そしてその命には私自身の至らなさがおおいにかかわっている。竹のステムと小枝を重ねて、その中にDavidの死骸を落として火葬にしたけれど、里山から生まれたその身体がまたもとの土に戻って行く、その物理化学的プロセスは私には涙なしには見送れなかった。出来ればDavidは檻に閉じ込められた恐怖に永く震えながら死んだのではなく、檻の扉が落ちた振動のショックで、瞬時にこと切れていて欲しかった。ほんとうに勝手なのは私というニンゲンだと悔恨に駆られて二、三日か四、五日か、鬱世界に落ち込んでいた。 ところがDavidが死んだあと、まだ何日も経っていないある夜、テントの片隅からひょっこり赤ネズミが一匹顔覗かせた。 「アツ David2号だ」 私にはネズミの個体識別は不可能だが、Davidそっくりの赤ネズミだった。 たしかに火葬したDavidが生き返って来る筈はない。 David2号は、最初のDavidほど無遠慮ではない。モニターの陰に隠れていることもないし主人の足の間をあるいたりもしない。しかし確かに私のテントの中書類入れやテーブルの隅、床のあちこちに乾いた胡麻の実のような糞がいつも落ちていて真空掃除機を掛けるたびに確認出来る。 私は少しだけ罪の意識から解き放たれた。 ※Dean = アメリカに住んでいる坂本氏の孫の名前。 ※この文章は、彼が亡くなる1ヶ月ほど前に書かれたもののようで、小さなネズミの罠も彼の遺品の中に見つかりました。