セネガル

モーリタニアからの入国はセネガル川を渡るバック(小さなフェリー)以外にはない。この国境通過は私の知っている限り(20年ほど前に通ったときは素朴な国境通過だったのだが)最悪の部類に入る。モーリタニア側の出国も官憲へのワイロ、フェリー代金の支払いなど、ともかく寄ってくる男たちの役割と要求の本意がわからない。何とか手続きを終え、フェリーに乗り込んですぐ目の前の対岸へ出国。セネガル側でもハエのように寄ってくる男どもに取り巻かれる。入国手続きとは、イミグレーションでの入国手続き(パスポートの確認と入国スタンプ取得)と税関での車の一時持ち込み手続きと荷物検査だけなのだが、ここではフェリーを下りて入国事務所前に車を止めるだけで「駐車料金」をとられる。車が何年の生産のものかをしつこく聞いてくる男がいた。古いものだと通過(入国)できないばかりか、取り上げられるという。カバーで覆われた車が2台置いてあった。これは以前フランス人がそんな理由で取り上げられた車だという。おまえの車も「俺が口添えや手続きを代行しないと取り上げられる」と言う。何のことやらわからないままその男に任せたのだが(金をせびられることは覚悟していた)絶対に私が一緒にドゥアーヌ(税関吏)に会うことを拒絶した。窓越しに覗くことさえ許されなかった。そんなことを待っている間、勝手に車を洗い始める子供がいるし、車のアシュランス(自動車保険)の勧誘も来る。もちろんあるのなら入るのは当然だが、その金額が腑に落ちないほど高い。
後で考えたのだが、古い車での入国を許さないなどと言うのは「ウソ」だろう。セネガル内では20年も前の車がいくらでも走っているのだ。おそらく車を取り上げられたフランス人は、国境事務所で「傲慢な」態度、振る舞いでもしたのだろう。そういった白人はいるものである。税関吏を怒らせたのだろう。そうでなかったらもっとたくさんの車が没収されているはずなのだ。そんな事件を口実に詐欺まがいの仕事を始めた男たち。悲しいかな、これがアフリカの一側面である。

●追加・訂正
モーリタニア〜セネガル間にはロッソ以外にもう一カ所、セネガル川下流にディアマという国境(車両が渡れる国境)がある。バイクで夫婦一緒に世界一周をしているナカザワさんの情報によって教えられました。この国境には橋が架かっているようで(地図には確かにそのように描かれている)、ロッソよりはるかに辺境の国境らしく、のんびりしているようである。ただし8トンの重量のあるフーライバスが渡れるかどうかは定かではありません。
後日、ナカザワさんは東アフリカで交通事故に遭い、亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。


数時間の入国手続きを終えると、夕方になっていた。ダカールへ向けて走り出すと、セネガル川の水を利用した大規模な田園風景が広がっていた。そんな畑の一角に車を止めてキャンプをした。野良仕事から帰ってくる人たちだろう、私たちをチラッと見ても、声もかけず、立ち止まりもせず家路を急ぐように去っていった。シャイな人々である。荷台にたくさんの人を乗せたトラックがほこりを上げながら走っていった。外国人旅行者(主に欧米人、日本人)を相手に金を稼ぐ人は国境事務所周辺、都会の一部にかならずいる。それは本当に一部の人なのだが、モロッコのタンジェでもそうであるように、その国の印象をひどく壊してしまう。悲しいことだと思う。それもアフリカである。
翌日、我々はダカールへ到着した。ここもまた大きな変貌を遂げていた。町の周辺は大規模な開発が行われており、道路の混雑はひどいものだった。何とか町の中心街へたどり着いたが、記憶は定かではなく、20年以上前に泊まったホテルを見つけることはできなかった。仕方なく、海辺を走り、別のホテルを探しあてた。金持ち相手のスーパーマーケットではハンバーガー屋が繁盛し、酒も売っていた。久しぶりに冷えたビールを飲んだ。ダカールの中心街からは遠く離れたところだったが、大学があり、高級なレストランもある場所だった。
翌日、乗り合いバスでダカールへ行き、20数年前に泊まったホテルを探しあてた。インディペンデント広場のすぐ脇に、きれいなピンク色に塗り替えられたそのホテルはあった。その昔、老フランス人娼婦が住みついており、日本からやってきた大学教授にも会ったホテルである。中心街だが比較的静かな所だった。

中心街は賑わっていた。物売りもいるし、レストラン、高級家具店、電気用品店、インターネットカフェ…

この冬の季節は決して暑くはない。一番暑い季節の3月以降でもダカールは大西洋に面しているおかげで涼しい町である。ただし内陸のサハラやサヘルと比べてのことだが…

1月中旬は毎年のように「パリダカ」の到着点としてひときは賑わうらしい。(2011年現在、西アフリカのでパリダカは行われていません)

我々が泊まっているホテルはビジネスマンらしい人たちが泊まっているようで、中庭は駐車場となっていた。砂に汚れた衣服の洗濯をホテルの女性に頼んだ。洗剤を買う金がないので前金だという。なるほどこうした人たちは余分なお金など持っていないのだろう。出発の前日に彼女は驚くほど丁寧にたたんだ衣服を渡してくれた。なんと几帳面なんだろう、と我々は感動してしまった。西アフリカの国の中でもセネガルは平穏な国である。

我々は帰りの日程に追われるようにダカールを後にした。同じ道を帰るほど退屈なことはないので、セネガル川まで内陸を走ってロッソ以外の国境を目指した。リンゲレからピストを辿ってセネガル川南岸のハエレラオへ行くことにした。ピストの入り口を探すのに苦労したが、何とかわだちを見つけた。サバンナの道がくねくねと草原の中を進んでゆくのは気持ちがいい。
いくつもの集落と大きな井戸を通過した。井戸の周りには驚くほどの山羊、羊、牛たちが群がっていた。このあたりは水脈が豊かなようだ。こうした井戸や集落を通過するとピストのわだちが消えてなくなってしまう。GPSがあるので、大きなミスコースはしないで済んだが、ともかくアフリカの道は難しく、またそれを探すのが楽しい。
セネガルにはバオバブの木が多く、森のように群生しているところもある。私はこの木が大好きである。

気持ちの良いサバンナのキャンプをした朝、我々は小さな集落の道ばたでサンドイッチを作っている女を見つけた。サンドイッチがほしいと頼むと、実はこの女は、サンドイッチの中身を作って挟んでいるので、パンは別の店から買ってこなくてはいけないようだった。
そばにいた別の若い女が笑いながらパンを買ってきてくれた。そのパンに揚げたてのポテト(だったと思う)を挟んでくれた。質素なサンドイッチだがおいしかった。

途中の町では、写真のような大きなモスクを見た。田舎の小さな町であるが、イスラムの勢いを思い知るような立派なモスクだった。

サバンナのキャンプでは、枯れ枝で火をおこしたのだが、放牧をしていた若い男がやってきて身振り手振りで我々に言った。「この火は確実に消してくれ」といっているのだ。極度に乾燥したこの地でいったん火が出ると止めどなく燃え広がってしまうのだろう。それにしても、と私は考えた。こうして辿っているサバンナには広く燃えた跡がいくつも見受けられたのだ。それは、彼らがこの草原を焼き畑のように計画的に燃やしているのだろうと思っていたからである。それとも単なる不注意や自然的な出火なのだろうか。私には本当のことはわからなかった。

車の一時輸入について

上に書いたとおり、少なくともロッソからの入国は苦労する。イライラして高圧的に出たらもっとひどい結果になるかもしれない。こうしたことは他の国境でも同じかどうかは正確にはわからない。しかし陸路での入出国と違い、ともかくはバック(フェリー)を使うので入港と考えれば、面倒なのもうなずける。モーリタニアとセネガルの国境はいくつもあるが、どこもセネガル川を渡らなくてはならず、バックパッカーならばピロッグ(小さな手こぎ舟)で渡ることができるだろうが、車は実質的にはこのロッソだけしかない。
車での入国には自動車保険に入る必要がある。この保険は、セネガルだけではなく、西アフリカの多くの国に共通して使えるものである。

道路状況

国内の幹線はほとんど舗装されているが、路面状態の悪いところも多い。それ以外の道は未舗装かピスト(わだちの道)。しかしサバンナの道なのでスタックの危険性は少ない。ただし、乾期には土埃がひどくなる可能性も多いし、雨期に雨でも降るとマディとなり、苦労しそうである。砂の深いところはほとんどない。

車について

できればアフリカ仕様がいいが、普通車でも可能。

ホテルと宿泊

ダカールなどの都会にはそれなりにあるが、ともかく高い。ホテルが高いのは西アフリカ全般に共通している。高くとも水が出ないとか、トイレが使えないとか、泣くことも多いだろう。アフリカである。それなりの覚悟を…

道路検問

警察の検問はそれなりにあるが、書類さえ揃っていれば問題は起きない。カドー(プレゼント)の要求も毎度のこと。
幹線では交通違反にもうるさい。違反でなくとも難癖を付けて金をせびられることもある。

 

冬のヨーロッパドライブ モロッコ(西サハラ) モーリタニア
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