ロシア

港からのロシア入国は厳しいものだった。旧共産圏なのである程度の覚悟はしていたのだが、港の保管場所においてある車を受け取るまでには思ったよりも手厳しい壁が立ちふさがっていたのである。英語はほとんど通じないうえに書類もすべてロシア語である。旅行者としてのビザ申請にも招待状なるものが必要なのだが、それはルートが確立しているのでお金さえ払えば誰でも取ることができる。しかし車の一時輸入に関してもロシア国内の保証人と招待状を要求されたのにはまいってしまった。ロシアなどに知り合いはいないし、まして車の保証人などになれるほど裕福なあるいは権威ある組織など知るよしもないのである。
とはいえ何度となく繰り返したことのある車での通関である。忍耐と、勘と、後は「レット・イット・ビー」である。ロシアといえども8トンもある車をこのまま日本へ持ち帰れとまでは言わなかった。
手助けしてくれた人々にただただ感謝している。

 

シベリヤ横断道路が開通した…こんな風の便りが伝わってきたからこそ今回の旅が始まった訳だが、ハバロフスクで買った道路地図には確かに一直線に道路が描かれていた。しかしこれはあくまでも予定路線、あるいは工事中の道路だった。そんなことどこにも書いてなかったよ…!!!
ともかく迂回路と工事中の続く極悪路、乗り心地の悪いフーライバスにとっては涙が出るほどうれしい道だった。舗装路が始まるチタの町までの2000kmは実質2300km以上の道で、1週間もかかってしまった。
水たまりから水をくみ、バラックのような粗末な家で生活していた極東シベリヤの人々の姿、この家の作りで厳寒の冬をどうやって過ごすのだろうか。短い夏は7月の中旬には寒気に襲われるようになってしまう。夏の間、夜は11時頃まで明るい。水辺では子供たちが水浴びをしていた。
夜中に車のウインカーやコンロを盗んでいった若者たちがいた。腹はたったがこの貧しさを思うと、その怒りもいつしか消えてしまった。心底優しくたくましい人たちにも巡り会えたこともあるから…
水辺でスタックした私たちを8時間もかけて救出してくれた人たち。
(注 スタックしたのは上の写真の場所ではありません。全く別の草原です。)
大きな水たまりの岸辺でバスがぬかるみにはまり、亀の子になってしまったとき、そこで水浴びをしていた男が村々を走り回って古い6輪駆動車を連れてきてくれたがバスが重すぎて失敗。次に隣村からまたまた恐ろしく古いキャタピラ車を連れてきてくれ、いとも簡単に脱出成功。そのときのうれしさは今でも忘れられない。
たったそれだけのことで私はシベリヤへもう一度行ってみたいと思うようになった。
シベリヤを西へ走るにつれて見かけるようになるひまわりの畑。その一面の花畑の広さには圧倒されてしまった。夏には一面の草原になる美しいシベリヤの大地は、実は広大な小石混じりの荒れ地で、畑などにするには気の遠くなるほどの労働が必要な土地であり、それも夏の2〜3か月しか農業はできない気候である。
バイカル湖、イルクーツクを越えてその西側に来ると 、広大に開拓された麦畑を見るようになる。土地はいくらでもあるからだろう、林の木々は残したまま、畑はその端が見えないくらい不定形に自由に広大に作られている。
林の中には夏になると人々がピクニックに来られるように整地された空間が作られていることが多い。

車の一時輸入について

シベリヤ横断道路開通という情報とともにオートバイなどで早速挑戦した人たちが多数(といっても数えるほど)いたが、彼らはラッキーだったと思う。富山の伏木港から出た人は船会社のBIS(ビジネスインツアーサービス)の職員が珍しい日本人として車両の輸入に関しても親切に手続きをしてくれたと思われるが、それは親切からであって、本来の仕事ではなく、その数が増えてきた現在、それほど何でもやってくれるわけではなく、親切を当てにして任せるつもりで行くとがっかりすることもあるので覚悟が必要。通関するための書類を作成するために必要なものは前もってすべてそろえる方がいいだろう。
詳しいことは後から報告するつもりでいます。

道路状況

ハバロフスク←→チタ間の道路は2004年夏現在、工事中あるいは計画路線。迂回路の連続で本線の右、左に迂回させられることが非常多い。それらの迂回路には工事のために作られたものと昔からの道路があり、路面状態は最悪の部類。夏の時期にはぬかるんでいるところも多く、舗装がされているところでも数十年前のままのようで、ひび割れや路面の波打など、走りづらいところが多い。工事中といっても2000キロのどこもが工事が続行されているわけではなく、切り開いてローラーがかけられたままの道路が多く、私の予想では全線が完全舗装道路としての完成にはまだ10年以上はかかるのではないかと思われる。
完成すれば道幅は広く、私たちが1週間をかけた区間も2日で通過できるだろう。
ただし、シベリヤの広さと厳しさ、人々とのふれあいも圧倒的に少なくなるだろうとも思う。

チタより西側は基本的に舗装路。路面状態は決してよくはないが、交通量が少ないので乗用車などは飛ばせるが、あちこちに交通事故で死亡した祈念碑が作られているのを見ると、おそらくは正面衝突か、脇見、不注意での道路外飛び出し事故だろうと思われる。

車について

給油場所が少ないので、乗用車ならば予備燃料20リットル(150km分)は積んだ方が安全だろう。ハバロフスク←→チタ間の悪路を想定して全駆車を選ぶのもいいが、日本製中古乗用車でも問題なく走れる。ただし、足回りにはかなりのダメージを受ける。砕石道路も多いのでパンクは必ずすると考えた方がいい。緊急用のタイヤしか積んでいない今の日本車の状態のままでは無理。できればまともなホイール付きタイヤを2本積むと安全だろう。空気圧を下げて走れば車体や足回りへのダメージは減らせるが、それだけ余裕のある悪路用タイヤがいいと思う。野宿することも必ずあるだろうが、絶対に水辺へ近づきすぎないことが安全。草で隠れて見えないが軟弱路面が多い上に、夏の水辺に近いところは蚊が多い。

ホテルと宿泊

大きな町以外ではたとえ空いていても泊まらせてくれないことも多い。人が泊まれば仕事が増えても収入が増えることがない(仕事はしない方がいい)という共産主義的信念に裏打ちされているようである。
東シベリヤでは野宿する場所を探すのは比較的簡単だが、道路からはずれるところでは車のスタックには注意が必要。路肩で寝ることもできるだろうが、人目に付くところではいろいろな意味で狙われることも多い。善人も多いのだが、興味本位や悪意を持つ人も少なからずいることを忘れないこと。車の中で寝ていても、外からはずせるような部品は寝ている夜中に持っていかれる危険もある。私たちもそうしてウインカーランプを盗まれた。
ホテルの人に聞けば車の駐車場を教えてくれることが多い。大きめのホテルならば必ず近くにある。駐車場といっても、囲いとガードマン付きであることが条件。誰でも入れるような駐車場や路上駐車は非常に危険。
私の場合、ホテルに部屋を取りながら、一人だけ車に寝たこともある。

道路検問

道路を走る場合、大きめの町に入るあたりで、検問が多数ある。日本人(あるいは外国人)はめずらしいのであれこれと聞かれるし、調べられることも多い。そのときに書類などの不備があると手こずることがある。私たちも、ウラジオストックのホテルで毎日のように宿泊を延長していた結果、宿泊証明書をそのたび作るのを面倒に思った女職員が、証明書の日付をホワイトで消して修正してしまっていた。それは公的なオビールの書類なので決して修正してはならないものだったらしく、そのため何度となく私たちは取り調べを受ける羽目になった。
一つでも不備があると難癖つけられるので、細心の注意を…
道路では時々速度違反の取り締まりをやっていて、旧式のピストル式速度計を使って、取り締まっている。私も捕まってしまったのだが、その速度は明らかに前を走っていた車の速度で、その車の主は警官の知り合いで、ぬけぬけとすり抜けてしまい、その速度計は私に適用されてしまった。何のかんのと難癖をつけて(私も当然値切ったのだが)罰金を取られてしまったが、その金は警官のポケットに入れられたのである。そのあたり頭にくると言うよりも、そのいい加減さがあるところは、旅も厳しくもあり、また抜け道もあることの証明にもなるのである。

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