モロッコ

夜になって着いたタンジェの港では、一苦労することになった。ぼんやりしていたためだろう、下船の時にパスポートに入国スタンプを押してもらわなければならないのを知らず、そのまま車に乗り込んで下船してしまったのである。車の手続きの時にそのことがわかったが、タンジェの港は大きく、夜である上、同じようなフェリーがたくさんあるため、自分が下りた船が見つからなくなってしまったのである。埠頭に並んだ船を一つずつ探しながら、やっとの思いで入国スタンプを押してもらった。バックパッカーであれば下船は一カ所なので間違うことはないだろうが、車の場合には船内のカウンターへ行って押してもらわないといけないのである。
ドゥアーヌ(カスタム)の係官や補佐係が私服を着ているため、ゴロツキなのやら係官なのやらわからず、いくつもの大切な書類を見失わないようにしないと大変なことになる。「俺がやれば早く済む」という誘いかけが一番危ないのだが、混雑した国境でたった一人ですべてをできるわけもなく、あちこちと連れ回された末に何とか手続きは終わった。
タンジェの街はすっかり夜になっており、地図もない我々は今日も道路脇で寝ることを決めて、夜の街を後にした。


テトゥアンとラバト(首都)への分かれ道近くで朝を迎えた。久しぶりのアラビア文字の道路標識。
北モロッコは基本的には舗装路が多いが、路肩が崩れていたり、舗装幅が狭く、大型トラックとのすれ違いはホントに気を使ってしまう。

朝、名も知らぬ街で朝食をとることにした。
笑顔の婦人が鉄板の上で焼いているパンがおいしそうなのでそれを頼んだ。そしてモロッコ茶(ミント茶)が久しぶりだった。新鮮なミントの葉をたっぷりと紅茶に入れて甘くして飲む。こうした飲み物はその土地で飲むのが一番おいしい。日本でも作って飲んだのだが、それほどおいしいと感じなかった。旅とは不思議なものである。食べ物は、その土地の空気と切り離せないのである。

モロッコの食べ物はおいしいものが多いと思う。素朴なものが多いので「モロッコ料理」などというのはあまり聞かないが、家庭で作ったパンを女たちが朝になると街で売っていたり、サンドイッチなどはこれでもかとばかり、肉、魚、野菜をはさんである。
左の写真のタジンという土鍋で煮込まれた肉や野菜の料理は本当においしいものである。(肉なしもある)作るのに時間がかかるので、昼にあわせて1時間ほど前から火にかけて作るようである。

昼頃になってしまったので、人もまばらで売れ残ったようなマーケットのオレンジやトマト。
私の印象ではスペインのオレンジよりもモロッコのオレンジの方が味が濃くておいしい。
また、オリーブの漬け物もやはりヨーロッパのものより、モロッコの方がおいしい。ヨーロッパでは最近はビン入りが多く、モロッコでは樽から好きな量を買うことができる。しかもその種類の多いことはアラブやインドのマサラ類のようである。

モーリタニアのビザをとるために首都ラバトへ行ったのだが、ビザセクションはカサブランカの領事館へ行けといわれてしまった。ラバトのホテルで一泊したが、散歩の途中で酒屋を見つけ、ウイスキーを買った。翌日早くカサブランカへ向かったのだが、領事館の申請受付は朝10時まで。仕方なく、カサブランカ郊外で外資系の企業のオフィスが建ち並ぶ近くの駐車スペース(ただの空き地かもしれない)でキャンプすることにした。駐車場のガードマンが親切で、食事をしていた我々にバケツ一杯の水を運んでくれた。近くには驚くほど大きなショッピングセンターがあり、いろいろなものを買うことができたが、明らかに金持ちのための施設であり、盗難、万引きを警戒するガードマンがたくさん配置されていた。
ビザは翌日の申請でさらに翌々日の昼頃の受け取り。だらだらと駐車場にいるわけにもいかず、海沿いのキャンプ場を探して一泊することにした。

これから南下していくと必ず砂に悩まされることがわかっていたので、前後のドライブシャフトの連結部に写真のようにビニールカバーを付け、ブーツの代わりにすることにした。この部分はサスペンションの延び縮みで頻繁に伸縮するところだ。オイルシールだけでは砂を防止するのは難しいところである。

ビザを受け取った後は、ただひたすら南へ向けて走るのみ。レンガ色に美しく統一されたマラケシュも一回りしただけで通過。平地のモロッコ人とは違う山の民族の住む険しいオーアトラス山脈を抜けた我々は、一路太平洋岸のアガディールへ向かって走った。
アトラス山中のキャンプで満月を迎えた。つまり、これからは月の出が遅くなり、暗いキャンプとなるのである。

アトラス山脈を抜けてたどり着いたアガディールは大西洋に面した大きな都会である。周辺には欧米人のやってくるリゾート地があるところでもある。
道はここから海から離れたり近づいたりするが、ただひたすら大西洋を右側に見て南下する道となる。背後に見えていたアトラスの山は次第に遠くなり、風景は殺風景な砂漠地帯となっていく。
タルファヤという街を過ぎると、西サハラの領域に入る。今ではウヤムヤのままモロッコに占領された領土だが、西サハラは一旦はポリサリオ解放戦線が独立を宣言したところである。そのころアイウンと呼ばれた首都は、今ではラユーンと呼ばれ、完全にモロッコの支配下に入っている。全国土のほとんどが砂漠地帯である。今では原住民を遙かに超えるモロッコ人が南下して、新しい街を作りつつある。
アガディールからモーリタニアまでの1500kmの道のりは快適、退屈である。しかし、キャンプをする場所は豊富で、大西洋を望む平原が広がっている。

大サハラもこの地で大西洋の荒波に洗われ、
断崖絶壁となって崩れ落ちている。

大西洋の荒波に削り取られ、崩落しつつある地形である。わずかな漁師部落があるがほとんど人の気配はなく、それでも夜になるとイカ釣りだろうか、漁のための夜光灯が遠く大西洋の闇に浮かぶのが見える。

モロッコはこの地へ人を呼び寄せる政策を進めており、ラユーンでは燃料が驚くほど安い。(北部の半額以下である)

車の一時輸入について

グリーンカード(ヨーロッパと周辺諸国共通の自動車保険)の通用する国であり、カルネなしでも問題はない。(ただしタンジェからの入国に関してであり、セウタ側からの入国で、係官がどう対応するかはわからない)
入国の手続きは煩雑(どのような書類に何を記入し、どの窓口へ行くのかなどはほとんど理解できなかった)だが、基本的には入国できる。ただし場合によっては荷物検査などで手こずる可能性もあるかもしれない。

道路状況

北部には高速道路ができており、快適。しかしサービスエリアはほとんどないと思った方がいい。人が横断していることもあり、注意が必要。小学生が通学のために道路を横断しているなどということもある。
一般路は、北部ほど状態はいいが、道幅が狭く、路肩が崩れていることも多く、大型トラックとのすれ違いは注意が必要。
アガディールからの南下の道は交通量も少なく、快適。しかし、この道から外れて砂漠地帯へはいると状態は悪そうであり、完全な沙漠のピストロードもかなり残っている。舗装路を走っていても南へ行くほどガソリンスタンドは少なくなるので、補給には気を配る必要がある。

車について

走る道による。ただ舗装路を南下する欧米人は通常のキャンピングカーでやってくる人もたくさんいる。ただし、地方道へ入るには沙漠用の装備(予備タイヤや、全輪駆動車)が必要。

ホテルと宿泊

北の方ではキャンプ場も多くあり、ホテルもたくさんある。特に海沿いには多い。そうしたところは欧米人向けのところが多く、ビールも飲めるところが多い。南へ行くほど少なくなり、人の住んでいない建物だけの幽霊町もよく見かける。そうしたところでキャンプは気分が良くないだろう。
太平洋岸の平原は砂が少なくしまっており、キャンプには快適だが風が強く(サハラ全体でそうである)、断崖に近づきすぎると危険。

道路検問

南へ行くほど検問が多くなる。北の方でもスピードガンで取り締まりをしているところもあるのでスピードには注意。

 

冬のヨーロッパドライブ モーリタニア セネガル
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