キルギス

カザフスタンのアルマティーから国境までは地図から想像していたよりも距離があった。山を越え、峠を越え、台地の上を走って行く道だった。走っても走っても国境が現れない。距離計ではもうキルギスのビシュケクが目前に迫ろうとする頃、国境事務所が現れた。あたりは出入国する車で大混雑していた。この両国は車での行き来が多いのだろう、混雑はしているが出国は比較的簡単に済んだ。そしてすぐキルギス入国である。この国境事務所では日本の車(四輪車)の前例がいままでになかったのだろうか、ともかく係官はぐずぐずとして時間ばかりが過ぎていった。だからといってこの係官が賄賂らしきものを欲しがっているわけでもなさそうだった。事務所の中でいくつもの書類を出しては調べていた。どれもロシア語のようで、おそらく車の通関の手続きについて調べているようだった。ほかの係官に聞いたりもしているのだ。私以外の3人はあきらめ顔でバスの中でじっと待っているだけだった。まだお金も手に入れていないので買い物をすることもできないわけである。結局上官が出てきて、私にいろいろと尋ねたが、何も書類らしきものも作らず、デクラレーションカードに車の事項を書き入れて渡してくれただけで、入国許可が下りた。
私たちはすぐにお金の両替をして昼飯を食いにレストランに入った。そこは中華レストランで、中華料理を食べることができた。夜になるとカラオケでもやりそうなレストランだった。カザフスタンもそうなのだが、もうこの国の隣は中国なのである。日本から見るのとは反対に西域からさらに天山山脈を越えたところなのである。
走り出すと首都ビシュケクは15kmほどの所にあった。こんなに国境から近い首都も珍しいのではないだろうか。この町はアルマティーで感じたような埃っぽさのない落ち着いた町であった。ただし車は多く、町中の幹線道路は渋滞していた。 久しぶりにホテル(アクサイホテル)に泊まり、お湯のシャワーが存分に浴びられた。私はこうした旅の途中でインターネットで通信するなどは考えていなかった(音信は電話で十分だった)のだが、このビシュケクだけは例外だった。これから行こうとしている中国の旅行エージェントと細かい打ち合わせをする必要があったためだ。翌日には滞在許可をもらうためにオビールをたらい回しにされ、町中を2時間以上も歩き回る羽目になったが、おかげで町の中心街を覚えられた。
ビシュケクでは天気が良い日には町の南側にいつも雪を抱いた山々が見える。
中国は今では日本人にはビザなしで入国を許可しているが、中国のエージェントは、今回私たちが入ろうとしているようなマイナーな国境ではビザが必要だと言い続けていた。私たちはこのビシュケクで中国ビザを取るつもりでいたのだが、中国大使館で日本人はビザは要らないとはっきり言われたのである。半信半疑で私たちはトゥルガルト峠の国境越えをすることに決めた。


キルギスへ来たら絶対に行きたかったのがイシュククル湖だった。それは天山山脈を一望できるような位置にある湖である。水もきれいで、日本の二つくらいの県を飲み込んでしまうほどの大きさである。
天山山脈。私が中学生の頃だろうか、これをテンシャン山脈と教わったように覚えているが、天の山と書くこの山脈がいったいどんな山々なのか、ともかく深く心の奥に残っていたことは確かだった。ユーラシアを走るならば絶対に訪ねてみたいところであった。
湖のほとりでキャンプしているとやってきた少年たち。後方に見える天山山脈を毎日眺めながら、羊や山羊、牛などを追って馬を操っているのである。その身のこなしはしなやかで美しい。彼らはこんなに美しい世界で、心の中にどんな風景を刻みながら育っていくのだろうか。

イシュククルに降る驟雨。空が生きている、雲が生きている、地球のダイナミズム…

キルギスは水が豊富な国である。周りを高い雪山に囲まれて、平均高度は2000メートルはあるのではないだろうか、そこから流れ降りてくる雪解けの水が、いたるところで音を立てて流れている国である。

都会を離れるとパオ(羊などの革で作ったテントの家)で生活し、山羊、羊を放牧している人々がたくさん住んでいる。これが本来のキルギスの人々の暮らしのようである。取り立てて産業らしいものはなく、半農、半遊牧のような暮らしだろうか。きれいな川で水をくんでいる私たちの所へやってきた子供たち。

イシュククル湖は美しかったが、当然観光地であり、いくつものゲストハウスやホテルが並んでいた。そんな「リゾート地」でのんびりするのもまた楽しいものであるが、車で旅している私たちにはもっと幸運なことがたくさんある。
自由に行きたいところへ行けることである。また好きなところでキャンプができることである。
この湖はコチコルという町へ向けて走る途中で見つけた湖である。名前は知らない。見渡しても人の住む気配は全くない山の中の湖である。水は澄んでいて、空は抜けるように青かった。中央アジアの片隅に見つけた真珠のような湖だった。
夜になると天の川があふれるほどの星空。そしていくつもの流れ星…

キルギスから中国へ入る国境は3箇所ほどある。どの峠も天山山脈を越える道である。私たちは、トゥルガルト峠越えの道を選んだ。中国のカシ(カシュガル)へ抜ける一番近い国境である。中国へ車で入るには入国の日時と国境をはっきりしなければならない。中国の旅行エージェントはそのことに関しては厳密だった。そのわけは後からわかったのだが、当然かもしれなかった。
トゥルガルト峠へ行くにはナルンの町を通ることになるのだが、この町を出るところに国境通過管理事務所があり、ここで車両の通過の申請をし、許可証をもらわなければならない。これは検問所のように道をふさいでいるものではなかったので、私は全くそのことを知らずに通過し、許可証を持たないまま国境へ向かってしまったのである。いくつもの峠を越えて道は高度を上げて峠に向かっていた。3000m位ある高地の道は未舗装の道も多く、おまけに中国へ屑鉄を輸出するたくさんのトラックがノロノロと走っていた。私が勝手に想像していた天山山脈を越える美しい峠、という空想はこうした光景にうち砕かれてしまったが、天山の山々は美しく、この高度からもさらに数千メートルの峰々を連ねて立ちふさがるように国境をなしていた。

国境事務所は実際の国境の数キロ手前にあった。通過許可証を持たない私たちは何やら言われたが、延々と並んでいる数十台の屑鉄を満載したトラックを相手にしている係官たちは、「ま、いいか」という具合にあきらめ顔だった。この国境でも車による(日本人)外国人の通過は珍しいらしく、私たちが中国へ入る許可証を持っているのか、ビザは持っているのかと念を押すように聞かれた。実際に私たちはそれらのたぐいの書類はただ一つ持っていなかった。ビザは必要ない上、中国入国に必要な書類はすべて国境で待ち合わせをしている中国のエージェントが持ってくるのである。出国をすませた私たちは鉄くずトラックに混じって中国へ向かうことができた。

車の一時輸入について

このページの最初に書いたように、近隣以外の外国からの車の入国は非常に少ないらしく、扱い方の手続きは確立していないようである。国際登録証一つ持っていれば入れると思われるが、国境によっては手続きが変わるかもしれない。しかし入国を拒絶するようなことはおそらくないだろう。
車の保険に関しても確立していないようで、国境で保険にはいることはできなかったし、そのことを強要もされなかった。こうした国では絶対に事故を起こすことはできないし、起こした場合どのような処置をされるかわからない。

道路状況

国境に近い辺境地には未舗装路があるが、それ以外の主要な幹線はすべて舗装されている。路面状況はそれほど良くはない。この国では道路地図を売っているかどうかはわからないが、GPS搭載のワールドマップや日本で手に入れた外国製の地図には書かれていない道路がいくつかあったので、新しい道路が造られつつあるのだろう。

車について

国自体が大きくはないので町や村の距離は少ない。ふつうの車の積載燃料で十分だと思われる。ただし、中国国境周辺の辺境は山や峠も険しく、民家や町は少ないので補給できないし、中国へ入っても入国から100キロ以上に渡って、さらに補給設備はないので、予備は必要だろう。

ホテルと宿泊

ビシュケクにはいくつかの高級ホテルと民宿や安宿があるが、数は少ないうえ夏には満室で断られたこともある。この町以外では私たちは宿泊施設には泊まっていないが、イシュククル湖周辺にはいくつもゲストハウスやホテルがある。
車の駐車はそれほど神経質にならなくて良さそうだが、都会なのでできれば管理された駐車場がいいと思われる。

道路検問

入国の時にデクラレーションカードに車のことを記載しただけだったが、道路検問などでも問題は起きなかった。税関などの管理は自国の者には厳しいが、旅行者にはそれほど厳しくはなさそうである。検問はほとんどないが、国境周辺では軍隊の検問がある。時間がかかることもあるが、身分証明など基本的なことができれば大丈夫。
トゥルガルト峠へ行く時には、ナルンの町を出るあたりで、通過管理の事務所に書類をもらいに出頭する義務がある。必ず書類を作ってもらうこと、私たちのような面倒なことはこじれると追い返される可能性がある。

 

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