カザフスタン

ロシア、ノボシビルスクから国道を分かれて南下。カザフスタンへ向かった。いままで北へ、西へと走り続けることが多かったので、一直線に南に向かって走るのは新鮮だった。終着地点のヨーロッパへ向かう旅にとっては「少しも距離を稼げない」コースでもある。しかし、私にとって今回の旅のもっとも大きな目的は、「天山山脈」を見ることと「カラコルムハイウェイ」を走ってパキスタンのフンザ地方を訪れることだったので、やっとその方向へ舵を向ける道でもあった。ロシア出国、カザフスタン入国はもちろん面倒なことではあるが、当たり前に通過しなければならない旅人の関所である。時間がかかっても何ら問題なく通過することが出来た。すでに冬の気配が近づいてきたロシアから南へ行くにつれて気温が上がってくる。寒いのも暑いのも平気な私なのだが、やはり暑い方がなにやら気分が高揚するのは不思議である。沙漠と暑さは遠いアフリカを思い出させるからだろうか。


カザフスタンは沙漠の国である。土沙漠の平地がどこまでも続く土地である。モンゴルやロシアにあった草原はここにはほとんど見られない。北部カザフスタンは、かつてソビエトロシアが「核実験場」として利用していた土地である。セメイ(セミパラチンスク)の町は悲惨な放射能汚染で知られた町である。いまでも多くの汚染による患者がいると聞いているし、奇形の子供が生まれてもいると聞いた。詳しいことは私は日本へ帰ってから知ることになった。
セメイの町で奇妙に映った光景がいまでもはっきりと思い出される。決して豊かではない町のマーケットでの買い物を済ませて、走り出して一番最初に見た立派すぎる橋である。町には不釣り合いなその立派な鉄骨の吊り橋は日本の援助で出来たとは、後から聞いたことであるが、さらに奇妙なのはその傍らにプールや観覧車を備えたきらびやかな遊園地があったことである。それは町に住む人々の粗末な服装や質素なマーケットなどとは、あまりにも似つかわしくない光景であった。
核実験による悲惨な現実とチョコレートのような遊園地、建造物。政治的な「金」は、いつもこうして使われるのだな、と思わずにはいられなかった。

 

町を出ると土沙漠。どんなに広々としていても決して美しいと思える土地ではない。乾燥した草が一面に覆うだけの、無味乾燥な風景である。実際に水の確保も難しい土地なのかもしれない。これだけの土地ならばどこかで山羊、羊、牛の放牧が行われていても不思議ではない。しかし、そういった姿はほとんど見た記憶がない。農耕の跡も見られないし町も村も非常に少ない道であった。もしかすると核実験の跡地という条件もあるのかもしれない。
道路はおそらく昔のソビエト時代のままのだろう。状態は悪く、激しく波打っていることもあり、これだけの直線でも50km/hくらいでしか走れなかった。フーライバスの能力も荒れ地の高速走行には向いていないのだが。

 

退屈な道に時々現れるカフェやマガジン。殺風景な土地だが、店のモンゴリアン系カザフ人の女の笑顔は人なつっこくてほっとしたものである。

 

カザフスタンの南の町、タルディクルガンに近づいたころ、峠から雪をいただいたピークを見た。天山山脈の支脈だろう。このピークを遠望したとき、やっとユーラシアの「臍(へそ)」に近づいてきたのだという感慨がわいてきた。
このあたりまで南下してくると山脈から流れくる水脈によって水が豊富になってくる。タルディクルガンの町に近づくと、立ち木や林、畑などが現れてくる。豊富な水が轟々と流れる水路も現れる。
カザフスタンはソビエトから独立した今、大都会である南部のアルマティーから白系ロシア人の多い北部にカザフ人を呼ぶために、北部のアスタナを首都とした。しかし私たちがたどってきたこの沙漠の中の町では、どんなに近代的な都会であろうとも豊富な水と緑豊かな土地の持つ魅力には勝てないだろうと思われた。人の住む土地には豊富な水が絶対に必要なのである。その水で人々は農耕をし、木々を育て、家畜に水を分け与える。そうした原則があまりにも明瞭にカザフスタンでは見ることができたように思う。

西北部にどこまでも続く沙漠を見渡し、東に雪をいただいた山脈を見渡せる丘の上で私たちはキャンプをした。
私たちを見つけて馬に乗ってやってきた男。
モンゴルを含めて、中央アジアでの家畜の筆頭は馬である。

私たちは、アルマティーの町へ入ったのだが、宿泊はしなかった。いままでのカザフスタンの町としては格段に大きく、車の混雑もひどかった。町中に鉄道をくぐり抜けるガードがあって、車両の高さ制限が3.8mとなっていたので焦ってしまった。フーライバスの高さは3.8m以上あったためだ。しかしそこを通らないと町を抜けることができない。混雑した道だったが、搭乗者に誘導してもらいおそるおそる徐行して、通過することができた。通常の車と違って、このバスは高さを考えないと駐車場にさえ止められないこともある。西洋やアラブの国によくある中庭駐車場には入れないかもしれないと、少しの不安がよぎった。

車の一時輸入について

難しいことはない。自動車保険のことを国境の係員に聞いたのだが、的を得た返事がもらえなかった。仕方なく無保険のまま走ることにした。
この国では自動車の保険という習慣や制度がないのだろうか。

道路状況

私たちの走った道はほぼ全て舗装路。しかし状態は悪く、穴を埋めた跡が盛り上がっているし、平滑性がひどく悪く、波打っているため速度が出せなかった。スピードを上げるとバスはジャンプしてしまいそうになるほどであった。

車について

町や集落が少ないので給油場所も少ない。しかし舗装路を走るので燃費計算の大幅な狂いはないと思われる。
クギや鉄片などを踏まなければパンクの可能性も少ないだろう。

ホテルと宿泊

セメイ、アスタナ、アルマティなどの都会にはゲストハウスやホテルはあると思われる。
私たちは全てキャンプで過ごしたので詳しい情報は持っていない。

道路検問

北の方では小さな町にはいるところでポリスチェックがいくつかあったが、厳しくはない。
アルマティーに近づくと道は良くなり、しっかりした検問所がある。私たちの仲間の一人のビザが切れていたのを見つけられ、すったもんだしたが、一警官に負える事態ではないことがわかり、仕方なく無罪放免となった。しかし彼は後でやはりこのビザ切れが見つかり、罰金を取られる羽目になった。

 

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